幸せ、ということ

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20年間音信不通になっていた
大学時代の親友から、
先日、メールが届きました。



連絡をもらえたのは嬉しかったものの、
うつ病を患っているとのこと。
もう何年にもなるそうです。



その連絡以来、1日になんども
メールをやり取りしています。

20年間の空白を埋めることよりも、
なんとか彼女の「最悪の、最後の衝動」を食い止めねば、
という一心で・・・




「幸せ」って、なんだろう?



そう考えずにはいられません。



私自身といえば、
50年間の人生の中で
2度結婚し、2度離婚しています。
しかも、もう何年も経済状況が悲惨で、
絶望したことも何度か・・・

つまり、
− 2度も離婚し
− 異国の土地でこれといった社会とのつながりもなく
− 経済面では不安がいっぱいの
− 50歳の女性
− 一人暮らし



・・・最悪です(笑)



ところが本人(私)は、

「まあ、それでも、みんな健康で良かった」
「お金の心配は、他の心配に比べれば楽かもしれない」

などと思いながら、
うつ病にもならず、持病もなく、
案外平和にやっています。




2度目の離婚の危機が迫っていた時、
私はそれを望まなかったのですが、
こう考えました。


「でも、もし神様がこう言ったとしたら?


『可哀想だけど、
お前に1つ、不幸を与えなければならない。

でもあまりに気の毒だから、ここにある不幸の中から
好きなものを選ばせてあげる。

自分でお選び』



そうしたら私は間違いなく、離婚を選ぶ。
他の不幸よりずっといい。

誰も傷つかないし、誰も死なない。
離婚は、ただの離婚だ」



こう考えても、辛かったことは辛かったですが・笑


でも、実際、
子供二人が二人とも健康で、
特に問題なく成長してくれていて、
元夫(つまり子供らの父親)も、私も元気。
加えて、お互いの家族、親戚、
それなりに色々あるとはいえ、健在です。
お正月に日本に行けば、いつもの顔ぶれに会えます 。
これが、有り難くないわけがありません。



一昨年だったか、
フランスのラジオでこんな話を聞きました。



オーストラリアの看護師が書いた本
『The Top Five Regrets of the Dying』

が英語圏の国々でベストセラーになり、
大きな話題を呼んでいる。

死にゆく患者たちの最期を
何年にもわたり看取った著者が驚くのは、
どんな人でも、
たとえ全く違った環境に生き
社会生活を送っていても、
皆、同じことを後悔して死んでゆくということ。

「自分があるべき本来の自分にならなかった」

と。

あの時、なぜ自分の思う選択をしなかったのだろう、と。

幸せは、ある状態のことではなく、
選択そのものにある。





ざっとこんな内容でした。

今気づいたのですが、
離婚も自分が選んだ一番楽な不幸の選択肢、
と思えた私は、
やっぱり幸せ者ですね!! 笑



注:
自慢話みたいですが、
実際は、
経済問題を抱えた孤独な外人シングルマザー。
(フランスでは、私は外人です)




「自分の幸せを、幸せと思える力」
という話しを
してくれた日本の友人もいます。

いろいろ幸せなのに、
ぜんぜんそう思っていない人が結構いる、と。




それういうことも、あると思います。




そして、私が強く思うのは、
(何はともあれ)
今、幸せと思える自分の境遇に感謝! 



冒頭の大学時代の親友は
とても聡明で、人の心の痛みの分かる人、
そして心身ともに健康な、美しい人でした。


その彼女が、どうして?
不思議でなりません。


もしかしたら、私がうつ病に捕まって
不幸な病の内に
捉えられていたかもしれません。
捕まらなくて本当によかった。
自分の星に感謝です。



そして、
裕福でも、貧しくても、
死ぬときの後悔が同じなら、
その後悔をしないように生きるだけですよね。




今の私は、
好きなフランスで暮らすことができて、幸せです。
家族みんなが健康で、幸せです。




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