エレガンスとは?

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「フランスに住んで良かったなー」と
しみじみ思うことの1つは、
年齢を重ねて美しい女性が多いことです。


「あんな風になりたい!」
と思わせる50代、60代、それ以上の方々を
よく、街で見かけます。
それも、高級レストランのような
「いかにも」といった場所だけでなく、
メトロやカフェ、小さなお店などで・・・



日本人に馴染みのある例をあげるなら、
女優の
カトリーヌ・ドヌーヴさんや
ソフィー・マルソーさん。
お二人とも、若い頃の美貌もさることながら
年齢を重ねた今の方が、
深い人間味が加わって、より素敵に見えます。




私が初めて「素敵だ」と
心打たれた年配の女性に出会ったのは、
カンヌの語学学校でした 。
70歳をとうに超えたと思われる白髪のその人は
その学校の事務所で
入学手続きを担当していました。
(当時、私は25歳。
フランス語がほとんどわからず
・・・どんな立場の方だったのでしょう)




カチッとしたツイードのスーツに身を包み、
指にも耳にも大ぶりの宝石がたっぷり。
上品な白髪は優美にまとめられ・・・

文字どおり、見惚れたものです。




「大ぶりの宝石は、こんな風にまとうものなんだ。

こういう大人の女性が、実際に存在するんだな。

こういう素敵な女性のいる国に暮らしたいな」



そう思ったことを覚えています。



あれから20年以上が過ぎ、
私は今、念願叶って(たまたま!)フランスに暮らし、
おかげで何人もの
素敵な大人の女性の友人・知人を得ることができました。



伝統的な装いの人、
モードな人、
くだけた雰囲気の人、
アーティストらしい自由な着こなしの人・・・

一口に大人の女性といっても
当然、
いろんな方がいますよね。



そんな彼女たちと付き合いながら
わかってきたこと、
それが、今回のタイトルになっている
「エレガンスとは?」
の答えです。



シャネルスーツの人も、
プラダしか着ない人も、
ユニクロの人も、
大人の女性たちは、みんな、エレガント。


コンサバとか、カジュアルとか、
そういったジャンルを超えて、
エレガントという点で共通している。



どうして、サバサバしていてもエレガントなのか?
そのエレガンスは、どこから来るのか?



ある日、超シックなパリマダムの一人が、
こんなことを言いました。

(話の前後は忘れましたが)


「年齢を受け入れるのは、知性だけにできること」


人間はみんな、年をとる。
それは仕方がないこと。

体型は崩れ、
顔のあちこちはたるみ、
年々、若い頃の自分とは変わってゆく。

その事実を受け入れて
どの年齢でも
いい状態でやってゆけるのは、
知性があってこそでしょう。



そんな意味の話だったと記憶しています。



そうか、
フランス人女性のエレガンスは、
年齢を受け入れられるインテリジェンスの賜物なのか!




まさに発見でした。



そこでさっそく、若いパリジェンヌに
質問をしてみました。
「あなたにとって、エレガンスとは?」


答えをお教えする前に、
日本の若い女の子に同じ質問をしたら、
どんな答えが返ってくるか?
ちょっと考えてみますね。


エレガンス、とは・・・?

優雅さ・・・?

つまり、
ラグジュアリーが似合う人・・・?

育ちの良さ・・・?


わかりませんが、
そんな答えが帰ってくるかもしれません。





さて、
そのパリジェンヌの答えは
こうでした。


「優しさだと思う」


いつでも優しく微笑むことのできる人を
エレガントだと思う。




ううむ、この若さですでに
エレガンスを外見のこととは捉えていない!
ここでもまた、感心した私です・笑




取り止めがなくなりましたが、
今、もし、誰かが私に
「エレガンスとは、何だと思いますか?」
と訪ねたとしたら、
「インテリジェンスだと思います」
と答えます。

または、知性です、と。


その反対が、
ボトックスや美容整形を繰り返すことなのかな?
時間と戦ったら、人間は必ず負けるのに。



50歳でも、心身ともに
いい状態の自分でいたいですよね。

いつかのヒット曲ではないですが、
ありのままを受け入れる知性、器を、
重ねる年齢とともに持ち合わせたいものです。




幸せ、ということ

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20年間音信不通になっていた
大学時代の親友から、
先日、メールが届きました。



連絡をもらえたのは嬉しかったものの、
うつ病を患っているとのこと。
もう何年にもなるそうです。



その連絡以来、1日になんども
メールをやり取りしています。

20年間の空白を埋めることよりも、
なんとか彼女の「最悪の、最後の衝動」を食い止めねば、
という一心で・・・




「幸せ」って、なんだろう?



そう考えずにはいられません。



私自身といえば、
50年間の人生の中で
2度結婚し、2度離婚しています。
しかも、もう何年も経済状況が悲惨で、
絶望したことも何度か・・・

つまり、
− 2度も離婚し
− 異国の土地でこれといった社会とのつながりもなく
− 経済面では不安がいっぱいの
− 50歳の女性
− 一人暮らし



・・・最悪です(笑)



ところが本人(私)は、

「まあ、それでも、みんな健康で良かった」
「お金の心配は、他の心配に比べれば楽かもしれない」

などと思いながら、
うつ病にもならず、持病もなく、
案外平和にやっています。




2度目の離婚の危機が迫っていた時、
私はそれを望まなかったのですが、
こう考えました。


「でも、もし神様がこう言ったとしたら?


『可哀想だけど、
お前に1つ、不幸を与えなければならない。

でもあまりに気の毒だから、ここにある不幸の中から
好きなものを選ばせてあげる。

自分でお選び』



そうしたら私は間違いなく、離婚を選ぶ。
他の不幸よりずっといい。

誰も傷つかないし、誰も死なない。
離婚は、ただの離婚だ」



こう考えても、辛かったことは辛かったですが・笑


でも、実際、
子供二人が二人とも健康で、
特に問題なく成長してくれていて、
元夫(つまり子供らの父親)も、私も元気。
加えて、お互いの家族、親戚、
それなりに色々あるとはいえ、健在です。
お正月に日本に行けば、いつもの顔ぶれに会えます 。
これが、有り難くないわけがありません。



一昨年だったか、
フランスのラジオでこんな話を聞きました。



オーストラリアの看護師が書いた本
『The Top Five Regrets of the Dying』

が英語圏の国々でベストセラーになり、
大きな話題を呼んでいる。

死にゆく患者たちの最期を
何年にもわたり看取った著者が驚くのは、
どんな人でも、
たとえ全く違った環境に生き
社会生活を送っていても、
皆、同じことを後悔して死んでゆくということ。

「自分があるべき本来の自分にならなかった」

と。

あの時、なぜ自分の思う選択をしなかったのだろう、と。

幸せは、ある状態のことではなく、
選択そのものにある。





ざっとこんな内容でした。

今気づいたのですが、
離婚も自分が選んだ一番楽な不幸の選択肢、
と思えた私は、
やっぱり幸せ者ですね!! 笑



注:
自慢話みたいですが、
実際は、
経済問題を抱えた孤独な外人シングルマザー。
(フランスでは、私は外人です)




「自分の幸せを、幸せと思える力」
という話しを
してくれた日本の友人もいます。

いろいろ幸せなのに、
ぜんぜんそう思っていない人が結構いる、と。




それういうことも、あると思います。




そして、私が強く思うのは、
(何はともあれ)
今、幸せと思える自分の境遇に感謝! 



冒頭の大学時代の親友は
とても聡明で、人の心の痛みの分かる人、
そして心身ともに健康な、美しい人でした。


その彼女が、どうして?
不思議でなりません。


もしかしたら、私がうつ病に捕まって
不幸な病の内に
捉えられていたかもしれません。
捕まらなくて本当によかった。
自分の星に感謝です。



そして、
裕福でも、貧しくても、
死ぬときの後悔が同じなら、
その後悔をしないように生きるだけですよね。




今の私は、
好きなフランスで暮らすことができて、幸せです。
家族みんなが健康で、幸せです。